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ジョヨボヨの予言とインドネシアの歴史

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Attribution:Tropenmuseum, part of the National Museum of World Cultures

預言者ジョヨボヨが語った「正義王ラト・アディル」伝説

インドネシアのジャワ島では、「ジョヨボヨの予言」というものが口承で長い間人々に受け継がれてきました。

ジョヨボヨとは、11世紀半ばのクディリ王朝の王ジョヨボヨのことで、彼がその後のジャワの未来を全て予言したという伝説。予言の中でジョヨボヨは、やがて乱れ狂った世が来るが、正義王ラト・アディルが現れて正義と繁栄の王国が現れると告げた、とされます。

以降、このジョヨボヨの正義王伝説に則って、それぞれの時代で自らを正義王と名乗る人物が現れて「世に正義を為すべく」行動を起こしていくことになります。

この思想は長い時間をかけてジャワ全域に、下層階級から王族まで幅広い階層の人が持つ共通文脈になっていきました。この正義思想がジャワおよびインドネシアの歴史に与えた影響について、民博特任教授の関本照夫氏の論文より抜粋してご紹介します。

 

 

1. ジャワの王権思想

戦前にジャワの社会や文化を研究したオランダ人シュリーケによると、ジャワには「世界とその道徳観が絶えず悪化していく」という独自の世界観が存在しているそうです。

 

世界の始まりは秩序と調和が支配し、平和で豊かで黄金の時代である。しかしそれはインドのユガの思想からなる4つの段階を経て次第に悪化していく。

それがクルタユガ、トレタユガ、ドゥワーパラユガ、カリユガの4つの段階で、カリユガの段階に世界は消え失せて新たな世界が始まり、同じ過程が繰り返される。

時代を経ると正義は次第に失われていき、悪徳・放埒・不正・強欲が世を支配し、私欲のために人々は絶えず戦う世界となる。そんな世界を変えようと法と道徳を守る王が出現し、世の秩序を一変しうる、というものです。

 

さらにこの4つの段階の中には、より細かな世の悪化と回復のサイクルがあり、1つの王朝は100年しかもたないという観念がある。世が乱れた時強く正しい王が現れ秩序と平和が回復される。しかしそれも100年しか持たずに再び世が乱れる。そしてまた王が出現し秩序を回復し、というサイクルを繰り返していき、全体で見れば徳のレベルは次第に下降しカリユガに近づいていく。

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そして事実上、ジャワの王権はこの観念とある程度一致した歴史を歩み、王朝が打ち立てられても平和は数十年しかもたず、100年が経った頃には混乱状態に陥り、次に王朝が打ち立てられていく。

よってジョヨボヨ王の予言した「正義王ラト・アディル」の出現も、伝統的なジャワの王朝循環論を切り出して言っただけで、全く新しいものではなかったし、以降社会は大きく姿を変えても同じような形式の話が語り継がれていくことになります。

 

 

2. オランダ侵略と「正義王」ディポヌゴロの闘争

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17世紀末以降、ジャワの王侯たちは、バタヴィア(ジャカルタ)を拠点に営利活動を行うオランダ東インド会社と結ぶことで敵対者に対して有利に立とうとします。

そのことにより、これまでジャワ人同士の戦いで潰れていた王朝が生きながらえるようになり、王朝の新陳代謝が行われず、これまで行われていた王朝交替が起きなくなってしまいました。ダラダラと続く王朝の下で汚職や戦争が続き、「世の終わり」が強く意識されるようになっていきました。

そんな中で以降のジャワに決定的な変化をもたらす出来事が発生しました。

オランダ東インド会社が解散し、その権益と領地をオランダ政府が維持することになったのです。それまでオランダ東インド会社は安全に利益を得られる海上貿易の確保は死守しましたが、リスクになり得る内陸部への領土的野心を持っていませんでした。しかしオランダ政府は、ヨーロッパ帝国主義の拡大競争の中でジャワ全体を支配する意思を明確化します。

 既得権益を奪われたジャワの貴族・土豪、伝統的生活が破壊された民衆は反発を強め、ジャワ全土を巻き込んだ最大の反オランダ反乱・ジャワ戦争(1825-1830)が発生するに至ります。

 

ジャワ戦争の指導者となった人物がジョクジャカルタ王族の1人ディポヌゴロ。

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彼は宮廷内の政争や享楽に嫌気がさし、隠居して山中や海岸で瞑想の日々を送っていました。そんな中で民衆から聖者として奉られたり、聖霊から神秘的な啓示を受けたりする中で自身が「正義王エル・チョクロ」であると認識するようになったと言います。

 ジョグジャカルタ宮廷はもはやオランダの傀儡と成り果て、誇りを傷つけられ憤る貴族・土豪、困窮する民衆の支持を受けたディポヌゴロは自ら正義王と名乗り、世の混乱を救うための聖戦を開始。5年に渡る戦いを繰り広げるも、優勢な軍事力を持ったオランダ軍の前に各個撃破されてしまいました。

ジャワ戦争以降、オランダの支配は強まり植民地としてのジャワの構築が進んでいくことになります。

 

 

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3. 民族詩人ロンゴワルシトの功績

 現在のインドネシアでは「ジョヨボヨの予言」に関連する書籍が多数書店に並ぶそうです。

その多くが予言から近未来の予測をする本なのですが、ジャワ宮廷に受け継がれてきた秘儀的な予言をまとめて後世に残したとして尊敬される人物がロンゴワルシトという人物。

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彼は元々19世紀初頭のスラカルタ・ススフナンの宮廷(現在のジャワ中部の町ソロ)に仕えた詩人でしたが、当時はすでにスラカルタ宮廷内でもヨーロッパ流のアカデミズムを振りかざすオランダ人が跋扈しており、伝統的な文脈で情緒的なロンゴワルシトの作は顧みられず、経済的に困窮する中で著作を残し死んでいったようです。

時代はヨーロッパ流の科学的なアカデミズムで、すでに伝統的なジャワ宮廷の知識は時代遅れのものになっていましたが、そんな中で彼は過去のジャワ宮廷の文献を読み解きその集成を試みたのでした。

その「集成」という行為時代がヨーロッパ的だし、彼自身そのヨーロッパ流アカデミズムに対する理解はあったに違いない。

ここから先はぼくの憶測なのですが、ロンゴワルシトは全く異なる文化文脈のジャワの地にヨーロッパ流の鋳型がぴったり当てはまるとは思えず、かと言って昔のジャワ的世界に戻ることもあり得ないことも理解していた。そこで伝統的なジャワの知識を後世に残すことを自らの使命とし、過去と未来のジャワを一つの文脈で繋ごうとしたのではないかと思います。

現在のインドネシアでは、民族主義的観点からロンゴワルシトは知的伝統を今に渡した偉人として尊敬されています。

 

 

4. インドネシア民族主義と正義王

インドネシアの外務大臣と国連大使を勤めたルスランは子供時代を振り返ってこう言ったそうです。

祖母と母はジョヨボヨの予言をいつも語っていた。オランダ人の時代はまもなく終わりを迎え、黄色い羽根のチビの雄鶏の時代がやってくる。それはとうもろこしが育ち実るまで三年間続き、ついでジャワは独立するというのだった。オランダが敗れ日本軍がジャワを占領すると、母はさっそく庭にとうもろこしを植え、その実りを待った。 

日本軍によるオランダ軍の駆逐とインドネシアの日本軍軍政はすでにジョヨボヨの予言に記されていたというのは有名な話です。

日本軍もジョヨボヨの予言を利用し、「黄色い羽根のチビの雄鶏」の予言通りパラシュート部隊を上陸させることで日本軍が「神が遣わせた軍」であると地元住民の支持を得ようとしました。

このように、伝統的な正義王の伝説は近代においてイニシアチブを取ろうとする政治勢力に利用される傾向があり、1920年代のインドネシア共産党は、共産党の指導と正義王のシンボルを被らせて用いたし、独立の父スカルノも演説の中で頻繁に正義王について言及し、独立闘争によってジョヨボヨの予言が実現されると訴えました。

さらには、多様な民族を抱えるインドネシアにおいてジャワの民族伝統であるジョヨボヨの予言がインドネシアの民族主義と伝統として利用され、修辞として機能する側面もあります。

ロンゴワルシトの著作「ジョコ・ロダン」の冒頭では、「若者ジョコ・ロダンがやってきて山が沈み谷底が浮かび上がる」と記されます。その表現は「シルノ・トト・エスティニン・ウォン(人に定まりし善き行いが消え去れり)」と表され、シルノ=0、トト=5、エスティニン=8、ウォン=1という語と数字の互換により、ジャワ歴1850年(西暦1919年-1920年)に秩序が乱れる予言がなされています。実際にこの時期に民族主義運動の大衆高揚が盛んになった時期に当たります。

またこの詩の終わりには、「正義王がしもべに哀れみをかける」という句があり、これを「スンコロ」として読めばジャワ歴1877年=西暦1945年の、スカルノとハッタのインドネシア独立宣言に当たるのです。

このようにジョヨボヨの予言は、修辞的に後世の人々に利用される側面がありつつも、行き詰った時代と社会の変革のための大義名分として使われ、伝統という枠から外れた柔軟さを持ち合わせた汎用的な思想として、現代のインドネシアでも息づいているのであります。

 

 

 

まとめ

 ドラスティックに人々を取り巻く環境までを大きく変えてしまう社会変革は、変化を望む人にとっては受け入れやすいですが、必ず慎重な人もおり、また利害関係で衝突も起こり、足を踏み出しにくいことが多いものです。

通常伝統的文脈というものは、これら変革に対して保守的で、かつての栄光や昔の完成された世界の理想を求めるものですが、ジャワの「ジョヨボヨの予言」はあくまで伝統的文脈に沿ったものでありますが、その使われ方はプラグマティックで未来志向であります。

インドネシアは21世紀の大国と言われていますが、このような文脈を持つ国は強いはずだと思います。

 

参考文献

シリーズ世界史への問い6 民衆文化

ジャワの正義王思想 関本照夫

民衆文化 (シリーズ世界史への問い 6)

民衆文化 (シリーズ世界史への問い 6)

 

 

 

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