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失敗したお粗末なクーデター計画

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そら失敗するわと思わざるを得ない雑なクーデター

政府転覆の陰謀を企てるのであれば、大物の支援者の資金援助はいるし、政府関係各所に協力者も必要。

軍事物資も豊富ですぐに軍隊を投入できるだけの準備が必要だし、VIPとのコネも大事だし、政局や世論の見極めも大切。とにかく成功は難しいものなのです。

今回は準備がお粗末すぎて失敗に終わってしまった5つのクーデター計画を紹介します。クーデターをやろうと思っている人はあまりいないと思いますが、どうぞ参考になさってください。

 

 

1. ハサン2世暗殺未遂事件(モロッコ)

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 空軍パイロットがテキトーすぎて失敗した国王暗殺劇

 1961年からモロッコの王位に就いたハサン2世は、強力なリーダーシップで多様な地域や部族が割拠するモロッコを強力に率いたのですが、議会の意を無視して解散権を行使したりその強権的なやり方への反発も根強く、治世で2度の暗殺未遂が起きています。

 1972年、2回目の暗殺未遂事件を起こしたのは、空軍将校のモハメド・ウフキール。

彼はハサン2世の右腕だった男で、暗殺、拷問、スパイなど国王の意を汲んだ様々な闇活動を担当していました。

そんな彼が、国王を暗殺し自分で政権を乗っ取ろうと考えるに至ったその理由はなぜかよく分かりませんが、とにかく彼は手下の空軍パイロットを使って国王を殺害しようと計画を練り、ついにそのタイミングがやってきた。

 

1972年8月16日、ハサン2世はフランスでの国際会議に出席した後、国王専用機でモロッコの首都ラバトへの帰途についていました。

時は満ちた、とウフキールは3機のジェット戦闘機を離陸させ、国王専用機の撃墜を命じた!

ところが3人のパイロットは実戦はこれが初めてで、しかも実弾を撃つのも初めてだった。

当然、弾丸は1発も命中せず、パイロット自身も当たったかどうか分からずにいた。そりゃそうですよね、撃つの初めてなんですから。

 

襲撃に気づいたハサン2世は大統領機中からラジオ放送をし、「独裁者は倒された」と自らの肉声で語りました。その放送を聞いたパイロットは「国王の暗殺に成功した」と勘違い。追撃をやめて空軍基地に帰って行きました。

大統領専用機は無事に首都ラバトに着陸。

すぐにハサン2世は空軍関係者数百人とウフキールの逮捕を命じました。ところがウフキールは警察が到着する前に既に自殺していました。

 

 

2. レッドドッグ作戦(ドミニカ国)

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 白人至上主義者によるドミニカ国乗っ取り未遂事件

クー・クラックス・クラン(KKK)と言えば、 19世紀末に特にアメリカ南部で暗躍した白人至上主義を掲げる秘密結社。

かつては神の名の下、黒人をリンチや拷問で殺害したり、家を焼き払ったりなど暴虐の限りを尽くしその悪名を轟かせました。KKKは現在でも存在し、勢力はさほど大きくないもののアメリカ南部を中心にセクトが散在しています。

 さて1981年、そんなKKKのメンバーであったデビッド・デュークという男とカナダ人のネオナチのメンバーなど9名は、武装して外国に侵入して政権を打倒し、「KKKの国」を作ろうと画策したことがあります。

彼らがターゲットにした国は、カリブ海のドミニカ国。

ドミニカ国では前首相のパトリック・ジョンが当時首相で政敵のユージェニア・チャールズの追放と復権を画策しており、彼はKKKに資金と武力の当てを頼み、その引き換えにKKKはドミニカ国での高待遇と自分たちの理想の実現を期待しました。

 

作戦はこうです。

KKKのメンバーは大量の武器弾薬を船に積みこんでドミニカ国に上陸。現地の民兵団と合流して一気に政府の中枢やメディア関係各所に攻め込み陥落させて首相を首都から追放させる。そしてパトリック・ジョンを迎い入れて、KKKが隠然と支配する国をつくりあげる、というもの。

まあ、めちゃくちゃざっくりしてます。

 

実行にあたってメンバーは船をチャーターできる業者を探していたのですが、おしゃべりなメンバーの1人が計画を匂わせることを船長にポロリと言ってしまった!

怪しんだ船長はすぐにATF(アルコール・タバコ・火器取締局)に通報。そしてATFはそのままパトリック・ジョンの身柄を拘束してしまった!

めちゃくちゃ焦るKKKのメンバー。やべえ、バレた。このまま黙ってたら絶対逮捕される。急がないと。

そうして急いで武器をまとめてチャーターした船に乗せようと港に赴いたところ、待ち伏せしていた警察に逮捕され全員御用となりました。

 

 

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3.クロード・マレのクーデター(フランス)

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 ナポレオン不在時を狙ったお粗末な乗っ取り作戦

 元マスケット銃士のしがない一兵士、クロード・マレは何をトチ狂ったか、皇帝ナポレオンの政府を乗っ取ってしまおうと考えていました。

 

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もちろん彼に軍隊の支援はない。2~3人の愛国者の同調者がいたくらいで、コネもなければカネもない。そんな中でクーデターをしようとしていたのだから狂気の沙汰じゃありません。いったいどうやって政府を乗っ取ろうとしていたのか。

それはずばり「ウソをついて政府を乗っ取る」です。

 

ロシア遠征に敗れ帰国の途についていたナポレオン。

その隙を付いてマレはブチ込まれていた精神病院から脱走して将校の制服を盗んで着用、フランス軍高官に変装し、あらかじめ作成してきた偽装文書を関係各所に提示した。

「ナポレオン閣下はロシアにて死亡された」と。

 マレがこの文書を最初に見せたのは国家警備隊の大佐。

見慣れぬ男が提示してきた「ナポレオン死亡文書」を、なんと大佐は信じこんでしまった。「何ということだ。我々はこれからどうすればいいのか」。

マレーは「ナポレオンの死」を知り混乱状態にある大佐から、パリの国家警備隊第10軍の指導権を移譲させると、部隊を引き連れてラ・フォース刑務所に行き、政治犯として投獄されている彼の仲間を解放させた。監獄官も偽文書を見せると従わざるを得なかった。

その後マレはパリに駐屯しているフランス軍全体を掌握しようと、やはり偽文書を使って乗っ取ろうとするのですが、ジャン・ドゥーセ大佐はこの怪しげな男が精神病院に入院しているイカれた男だということを知っており、しかもマレがばら撒いた「ナポレオン死亡文書」に書かれた死亡日付の後にも普通にナポレオンが手紙を書き各所に伝達していたことも知っていた。

こいつはとんだペテン師じゃねーか。

マレは逮捕されて銃殺刑に処せられました。

 

 

4. マンハッタン号事件(タイ)

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ノープランで首相を拉致したグダグダの海軍クーデター

 1940〜50年代のタイの独裁者、プレーク・ピブンソンクラームは、タイのナショナリズムを推進して国内を統制する一方で、東南アジアに進出してきた日本と結んで枢軸国側に付き、旧領カンボジアを回復するためにフランスと開戦、後に米英に宣戦布告するなど、タイの親日政策の中心となった人物です。

戦後はしばらく身を潜めていましたが、東南アジアに共産主義が拡大するにあたって、「アメリカに宣戦布告したという黒歴史」を持つにも関わらずアメリカから卓越した指導力を見込まれ再びタイ王国を率いることになりました。

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1951年6月29日、バンコクのチャオプラヤ川沿岸にて、アメリカ海軍が戦艦マンハッタンをタイ王国海軍に引き渡すセレモニーが催されていました。首相ピブンはこれに出席していたのですが、会場にピブンに反発心を抱く海軍の若手将校が武器を持って現れて脅し、そのまま戦艦スリ・アユタヤに乗せて拉致してしまった。

 

順調にいった首相拉致。

ところが致命的なことに、海軍はこれから何をすべきかのプランを一切持っていなかったのだ!

ピブンを乗せて航行中、政権中枢の者が首相の解放の代わりに何を叶えて欲しいのか述べよ、と交渉を打診を無線で言ってきました。ここからどんな交渉をするかでこのクーデター劇の行方が決まるほどの重要なコンタクトです。

ところが、これから何をしたらいいか具体的なアイデアを持っていなかった海軍将校は、その申し出を一方的に断ってしまった!

当然、政府関係者は「マズい、首相が殺される」とあせって強行手段に出る。

拉致から6時間後、陸軍と警察がスリ・アユタヤに砲撃を開始。陸軍航空機AT-6もスリ・アユタヤに爆撃を加える。首相乗ってんのに!

爆撃弾はスリ・アユタヤに命中し大轟音と共に大破!乗組員17人が死亡したのですが、当のピブンは爆破の瞬間に部屋を抜けだしてチャオプラヤ川に飛び込んでおり、そのまま対岸まで泳ぎきって地元の警察官に保護され無事バンコクに帰還しました。

ピブンはクーデターを起こした海軍を当然ながら敵視して冷遇し、海軍は長い間冷や飯を食わされることになったのでした。

 

 

5. ミュンヘン一揆(ドイツ)

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若きヒトラーのビアホール・クーデター

第一次世界大戦後、ドイツは連合国に多額の賠償金を課せられ、足元を見られてルール地帯をフランスに占領されたりとふんだり蹴ったりの状態で、ドイツ国民は弱腰な政府の対応への苛立ちを募らせていました。

後の独裁者であるアドルフ・ヒトラーも、ドイツ政府の弱腰対応に憤る青年の1人でした。当時ヒトラーはバイエルンで急速に勢いを拡大していた国家社会主義ドイツ労働者党の若き青年指導者の1人で、反ベルリンの右派の急先鋒でした。

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1923年9月20日、バイエルン州では右派のグスタフ・フォン・カールが州総督になり、ザイサー大佐・ロッソウ少将と共に、対フランス宥和策を図るベルリン中央政府に露骨に敵対し、バイエルンから軍を率いてベルリンを制圧すると脅しをかけました。ヒトラーもカール体制に賛同してベルリン進軍を呼びかけ、ルール問題の早期の軍事解決を主張しました。

ところが11月上旬、ベルリン政府とバイエルンとの間に妥協がなされ、ベルリン進軍は事実上凍結されてしまう。

 

 ヒトラーらナチスの連中は怒り狂った。

「何としても、いますぐにでも武力で弱腰のベルリン政府を倒さねばならない!」

そこでナチスは、11月8日にミュンヘンのビアホールで開催されるカールの演説大会で、カール、ザイサー、ロッソウを脅して説得して、ベルリン進軍を決意させようとしたのでした。

当日夜、ヒトラーらは突撃隊員をビアホール内に紛れ込ませ、自分たちもジョッキでビールを飲みながらカールの登場を待っていた。

そしてカールの演説が始まると、ヒトラーらは舞台に雪崩れ込み、拳銃を天井に向かって発泡し「ここは包囲されている!誰もここから出るな!」と叫んだ。

そしてカール、ザイサー、ロッソウに「ヒトラー首班のバイエルン政府」に加わるように説得しました。ところが3人とも「ダメだ」と首を横に振り続けた。

 会場は突如起こった暴力劇に騒然となり、突撃隊員とビアホールの客との間で小競り合いすら起きていた。

ヒトラーは会場の客に向かって、得意の饒舌っぷりを披露。

「ドイツを、ルールを救うには、政府が強くないとダメなんだ!!」

次第に客はヒトラーの演説にのめり込んでいき、やんやの喝采を浴びせ始めました。カールらも会場の雰囲気に飲まれたのか、ようやく先ほどの申し出にイエスと明言した。

そして大団円となった一座はドイツ国歌を歌い、ビールで乾杯をし大盛り上がり。クーデター大成功!!

…かと思いきや、ビアホールを出たカールら3人は「クーデターは無効。銃で脅されて首を縦にふらされた」と言い、軍と警察にクーデーター鎮圧を指示。

てっきりクーデター成功と思っていたナチスの連中は、いそいそ州本部に乗り込もうとしたところを逮捕され、ヒトラーも「カールの裏切り」への抗議行動をしていたところを警官隊に取り押さえられ逮捕されました。

 

 

まとめ

 こうやって概要だけ見てみるとなんて無計画すぎんだろうと呆れてしまいますが、実際にクーデターをやろうとすると、想定外のことが起きすぎて、全く対処しきれないのだろうと思います。

自分たちで思い描いていた筋書き通りに進めばいいけど、まあまずそうなってくれない。 確実に物事を成功させるためには、万が一失敗したときのために何重にも保険をかけ、どう転んでも失敗しないようにする必要があるのですが。

けどこれクーデターだし、綿密にやりすぎちゃうとバレる可能性も高まるし、神の手に運命を委ねる部分も、やっぱりあるのかもしれませんね。

 

 

参考サイト

"The 5 Saddest Attempts to Take Over a Country" Cracked.com

 

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