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歴ログ -世界史専門ブログ-

おもしろい世界史のネタをまとめています。

政治犯・凶悪犯が送られた有名な「流刑島」

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政治犯・凶悪犯が送られた「辺境の離島」

 流刑島ってなんかロマンがあると思いませんか?

「夢敗れた男たちのたどり着いた先」みたいな感じでグッとくるものがあります。島ってところがまたいいですね、閉じ込められた感あって。

中央の抗争に破れて流されてしまい何もかも失ったが、今に見ていろ、ひっくり返してやる! ライバルへの復讐心と己の野望に燃える男たちが再起を図る…。

いささか映画や小説の見すぎですが、歴史上で有名な流刑地は世界中にあります。

ということで、今回は有名な流刑島を集めてみました。

 

 

1. セントヘレナ島(イギリス領大西洋)

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 ナポレオンが流された絶海の孤島

セントヘレナ島はアフリカ大陸西岸から約2800キロ離れた大西洋上にある絶海の孤島。現在も行政権はイギリスにあります。

スエズ運河が開通する前まではヨーロッパから喜望峰に至る途中にある重要な水や食料の補給地でした。 

熱帯気候に属しますが海流の関係で比較的穏やかな気候らしく、降水量も豊かなので自然環境はそう過酷ではなさそうですが、何しろ離れすぎているので物を入手するのはとにかく苦労するようです。

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Photo by Andrew Neaum

1815年、エルバ島から脱出したナポレオンはパリに帰還し再び帝位に就きますが、ワーテルローの戦いに敗れ今度こそ脱出不可能なほど離れたセントヘレナ島に流されてしまいました。

島での行動は比較的自由だったようですがイギリス当局の監視は厳しく、島の総督ハドソン・ローの不遜な態度は死ぬまでナポレオンをイライラさせたようです。

島に幽閉されて5年後の1821年5月、ナポレオンは51歳でセントヘレナのロングウッド・ハウスで死亡しました。

 

 

2. 佐渡島(日本)

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 順徳天皇も流された日本を代表する流刑島

佐渡島は隠岐島と並ぶ、日本の流刑島。

古くは奈良時代に貴族・歌人の穂積老(ほづみのおゆ)が不敬罪で佐渡に流されており、有名人だと日蓮(1271年)や世阿弥(1434年)も流されています。

日本海側で京都にも離れてるし、特に厳しい冬の気候は「罰」にはうってつけだったのでしょう。

最も有名な流刑者は、鎌倉幕府打倒を掲げて父・後鳥羽上皇と共に挙兵した順徳天皇。鎌倉幕府に実権を奪われることを不服とした朝廷方は、各地の守護や御家人を集めて幕府打倒を掲げますが、各地で幕府軍に敗北を重ね大失敗に終わりました(承久の乱)。

戦後、父後鳥羽上皇は隠岐に流され、順徳天皇は佐渡に流されました。

順徳天皇は21年佐渡で暮らし、42歳で亡くなりました。

 

 

3. デビルズ島(フランス領ギアナ) 

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疫病の蔓延する過酷な監獄島 

名前からしてヤバいデビルズ島は、南米のフランス領ギアナにある島。沖合約11キロにある小島で、島は岩だらけの荒れた土地。

1825年にここに政治犯が送り込まれる監獄が設置され、フランス本国から8万人以上の受刑者が送り込まれました。

その多くは島で疫病にかかって死亡するか、ジャングルでの過酷な労働の中で死んでいきました。脱出を試みても、どこまでも続くジャングルの中、生還する見込みは低かったと思われます。まさに、悪魔の島ですね…。

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Photo by Philipp Weigell

この島に流された有名人は、ドレフュス事件ので有罪になったユダヤ系軍人アルフレド・デレフュス。

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ドレフュスは「筆跡が似ている」という理由のみでドイツのスパイ容疑をかけられデビルズ島に流刑になりました。彼がユダヤ系だったことも憎悪を掻き立て、フランス全土で大規模な反ユダヤ運動が盛り上がった。一方で、ドレフュス援護の声も大きく、フランスの世論を二分する大運動に発展していきました。

なおドレフュスの有罪は解消されませんでしたが、恩赦でデビルズ島から釈放され本国に帰還することができました。

 

 

4. ロビンソン・クルーソー島(チリ)

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ロビンソン・クルーソーのようなサバイバル生活の送った男の島

ロビンソン・クルーソー島は、南米チリ沖合にあるファン・フェルナンデス諸島で2番目に大きな島。

もともとマサティエラ島という名前でしたが、ダニエル・デフォーの小説「ロビンソン・クルーソー」の舞台でもあるため、1966年に名前が変更になりました。まんまですね。

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Photo by Serpentus 

さて、ロビンソン・クルーソーのモチーフと言われる人物が、イギリス人水夫のアレキサンダー・セルカーク。

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セルカークはウィリアム・ダンピアの私掠船に乗り込み、スペイン船の略奪のために太平洋に繰り出しますが、島で仲間割れして一人取り残されてしまう。

ここで彼は4年4ヶ月に渡り、一人でサバイバル生活を送りました。リアル「キャストアウェイ」ですね。

1709年2月にイギリスの私掠船船長ウッズ・ロジャーズの船で救助され、無事にロンドンに帰還しています。

 

 

5. サントマルグリット島(フランス)

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 仮面の男が収監されていた島

サントマルグリット島は、映画祭で有名なカンヌの沖合約1キロにある900メートルほどの島。

17世紀までは修道院が建っていましたが、所有者が変わり監獄が建てられ主に政治犯が収容されました。

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ここに収容されていた囚人で最も有名な人物といえば、「仮面の男」

劇や映画にもなっているためご存知の方も多いと思います。17世紀後半から18世紀前半にかけて実在した謎の囚人で、「獄中でも常に鉄の仮面をかぶせられている」と噂がたち、その正体は誰なのか当時から謎めいていた人物で、現在に至るまでその正体は謎に包まれています。

仮面の男の詳細についてはこちらをご覧ください。

reki.hatenablog.com

現在では「仮面の男」が収監されていた監獄は観光スポットになっており、そのミステリアスな存在に魅了される多くの観光客を楽しませています。

 

 

6. コイバ島(パナマ)

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政治犯が多数死んだ恐怖の島 

コイバ島は南米パナマ沖にある周囲503キロほどの島。島全体が国立公園に指定されており、特に海は世界屈指の豊かな海洋生物が見らるため、世界中のダイバーの憧れの地であります。

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Photo by Seibert

ここコイバ島に監獄が建設されたのは1919年。

パナマは運河を要する戦略的要所で、アメリカが内政にまで干渉するほど強い影響力を持っていました。国内政治は親米派と反米派との間で政治抗争が繰り広げられ、政治犯が次々とコイバ島に送り込まれました。

コイバ島では政治犯に対し残虐な拷問や尋問が繰り広げられ、正確な人数は不明ですが300人ほどの政治犯が死んだと考えられています。

2004年に監獄が閉鎖された後も地元パナマの人々は気味悪がって島にはあまり近寄らず、おかげで現在に至るまで開発が進まずに豊かな生態系が残っているのだそうです。

 

 

7. ガラパゴス諸島(エクアドル)

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無意味な壁が建つ政治犯の島

「日本の市場はガラパゴスだからね」 

など、いまでは「独自発達」という意味にもなってしまったガラパゴス諸島。

1946年から1959年の間、エクアドル政府は諸島の中の島の一つイザベラ島に政治犯を収監する監獄を作り、約300人の受刑者を送り込みました。

受刑者たちはイザベラ島で強制労働にあたり、巨大な「壁」の建設を命じられた。

照りつける太陽、貧弱な装備、不足する食料・水に苦しみ倒れる受刑者が大勢出たのですが、別にこの壁には用途がなく、「受刑者たちを働かせる」ことを目的に作られたのでした。

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Photo from "The Wall of Tears, Galapagos Islands" Amusing Planet

この壁は、「ウォール・オブ・ティアーズ(涙の壁)」と呼ばれ、現在でも見ることができるそうです。

 

 

8.  ロベン島(南アフリカ)

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 ネルソン・マンデラも収監された監獄島

ロベン島は南アフリカのケープタウン沖合3.3キロにある島で、周囲は海流が早く島に出るのも入るのも難しいため、17世紀末から刑務所として使われるようになりました。

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Photo from Stephantom

開設当初は政治犯が収監されていましたが、19世紀半ばから20世紀初頭までは隔離病棟が建設されハンセン病患者が入院していました。

1960年から1991年のアパルトヘイト政策下では、島は黒人政治犯のための監獄として用いられ、最も有名な人物ではネルソン・マンデラが約18年間収監されています

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マンデラは劣悪な環境と過酷な労働で健康を害してしまいましたが、獄中で語学や法律を学び、世界中で「ロベン島のマンデラ」の解放運動が盛り上がっていきました。

現在では刑務所は閉鎖され、元受刑者がガイドする「監獄ツアー」が観光客の人気を集めているようです。

 

 

9. ニューカレドニア

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 南国の巨大収容所島

ニューカレドニアは日本人にも人気のある南太平洋のリゾート地。

1853年から現在に至るまで、フランスの植民地(フランスでは海外領土という言い方)です。

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Photo from my LifeShow

この楽園のように美しい島に刑務所が作られたのは1860年代で、1897年まで約2200名もの政治犯・凶悪犯罪犯が送り込まれています。

政治犯の中には、パリ・コミューンで活躍した共産主義者、ヘンリ・ロッチェフォートやルイーズ・ミシェルらも含まれていました

第三共和制政府が1879年から80年に発した恩赦によって、多くの囚人は本国に帰還。現地に留まったのはわずか40名だそうです。

 

 

10. オーストラリア

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都市のあぶれ者たちが送り込まれた大陸

もはや島と言ってしまうには巨大すぎるのですが、イギリスによる開拓当初のオーストラリアは、その開拓人員の多くを受刑者に頼っていました。

18世紀半ばまでイギリス国内の受刑者の多くは北米に送られていましたが、1776年にアメリカが独立してしまったため、追放する先がなくなってしまった。国内の刑務所はパツパツで、イギリス政府は新たな流刑地としてオーストラリアに目を向けた。

1788年にイギリスは1500名の入植者(その半分は受刑者)を乗せてオーストラリアに上陸し領有を宣言。 

産業革命に伴い大量の農民が大都市に流れ込み、同時に浮浪者やゴロツキが大量に発生していたイギリスでは、パンを盗むなどの軽犯罪でもオーストラリアへ送り込み、厄介者たちを国内から一掃しようとしていました

以前の記事で紹介した、「アボリジニーになったイギリス人」ウィリアム・バックレーもそのような形でオーストラリアに流された一人です。

reki.hatenablog.com

囚人のオーストラリア送りは1868年1月まで続きましたが、

1788年から1868年にかけて162,000名もの受刑者が送り込まれたそうです。桁が違いますね…。

 

 

 

まとめ

冒頭にも書きましたが、辺境で、島で、陸地から離れていたり海流が激しくて脱出困難、というところに隔離感があって、絶望の度合いを高めます。

中央はもちろん世のあらゆる事柄から隔絶されていて、ああ、ここで死んでもきっと誰も気づかねえだろうなあと思ってしまいそう。

収監されたことないので分からないのですが、実際のところ流刑島に流されてしまった後、自分はどう思うのか、と考えてしまいました。

故郷や家族を思って涙に暮れるのか、絶望して自暴自棄になるのか、野望実現のために脱出して再起をもくろむのか。 

このまま何も成し遂げないまま辺境の島の骨になるくらいだったら、一か八か脱出を試みてやる!くらいの気概を持って生きたいものです。

 

 

参考文献

"Ten Infamous Islands of Exile" Smithonian.com

https://en.wikipedia.org/wiki/New_Caledonia

Convicts in Australia - Wikipedia, the free encyclopedia

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