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歴ログのシリア旅行記

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 10年前は平和で活気があったシリアの街並み

約10年前の2006年9月上旬、当時大学生だったぼくはシリアを旅行しました。

現在は様々な政治勢力により国土を分断され、祖国を捨てる人が相次ぎ、悲劇と憎悪の連鎖が続く呪われた地になってしまいましたが、

10年前はたとえ独裁とはいえ、秩序が保たれ街は平和で、生活は苦しかったかもしれませんが、人々は精一杯生活を楽しんでいるようにも見えました。

ぼくはこれまで40カ国以上の国を旅行してきましたがシリアは特に印象に残っており、街の活気、人のざわめきや笑い声が、今でも脳裏に思い浮かびます。ぼくの貴重な青春の一ページはシリアにあります。

今回は、当時旅の道中に書いていた日記をそのままブログに書き写します。間違っている表現やつまらないものもそのまま、10年前の一大学生の体験したことをお伝えしたいと思います。

 

 

1. 旅の概要

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お金はないが時間はたっぷりある大学生2人の旅行。

日程は2007年9月上旬から約1ヶ月で、トルコのイスタンブールに飛行機で入り、10月上旬にエジプトのカイロから日本に帰ってきました。

ルートは

トルコ・イスタンブール → ブルサ → アンタルヤ → アンタクヤ → シリア・ダマスカス → ヨルダン・アンマン → イスラエル・エルサレム → ヨルダン・パルミラ → エジプト アカバ → ダハブ → カイロ

そのうちシリアはわずか3日という強行スケジュール。

今考えれば、もっとゆっくりすればよかったなあと思います。

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 ▲東京で事前に入国VISAを取得

 

1か月間毎日日記はつけていて、シリアは9月11日から始まります。

ではいきます。

 

 

2. 2006年9月11日 トルコ・アンタクヤ → シリア・ダマスカス

朝8時半起床。9時に荷物をまとめてホテルを出る。近くのロカンタ(※食堂)で朝食。スープとピラウ。ここアンタクヤのメニューはシリア風。必ずミントと唐辛子をつけてくれる。しかしこの唐辛子は激辛。それだけにウマイ。

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N(※旅の同行者)はムリだろうな。その後セルヴィス(※バス会社が提供するミニバス)に乗ってオトガル(※バス停)に行き、ダマスカス行きのバスに乗る。

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▲トルコとシリア国境付近の荒れ地

 

オトガルから1時間ほど走ると、ほどなく金網と有刺鉄線が張り巡らされた国境が見えてきた。いよいよ初の陸での国境越え。

バスはまず出国手続きの事務所前に停まった。ここで係員にパスポートを提示し、ハンコを押される。これで出国手続きは完了。バスに乗り込み、パスポートを回収される。バスはその後、金網に囲まれた汚い狭い場所をノロノロ走り、最後にシリア出入国管理事務局に滑り込んだ。乗客はここで降ろされ、バスの搭乗員が入国手続きに走る。ここで何故か前席のイラン人が荷物をかかえて奥の方へと消えていった。結局バスは彼の帰りを待たずして出発。一体何があったのだろう…。入国手続きが済んで、バスの横で待っていると、軍人が数人やってきて荷物検査を始めた。バッグの中身をすべて見られるのかと思えばさにあらず、前方の荷物のチャックをチョロっと開けてパラ見するくらいで終わってしまった。超テキトー。これなら麻薬でも武器でも密輸できちゃうなと思った。

 

入国審査の終わった車内は一転して和みムード。それまで押し黙っていた人々が一斉に話を始めた。チャイが配れ映画が始まり、寝たい人は寝、ボケーとしたい人はボケーとし、まったりムード。

夕方ごろ、ダマスカスに到着。アンタクヤから一緒だったパレスチナ人のおっちゃんと、ガラージュハラスターから中心部のマルジェ広場まで移動。アル・ハラメイン・ホテルにチェックイン。ここのホテルは中心部が吹き抜けになっていて、水槽には金魚がおり、イスラム的な美が現れたキレイさがある。

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▲アル・ハラメイン・ホテルの吹き抜け

 

しばらくまったりした後、情報ノートを見ていると、同じ時にチェックインしたユリさんという人と会う。話を聞いているとこの人、1年以上各地を転々としており、上海→チベット→ベトナムと4ヶ月以上いた後南米に渡り、1年ほどかけてほぼ全ての南米の国々を旅したという。ボリビアでは車が崖から転落して骨を折ったり、コロンビアでは荷物を全て盗まれたりとかなり危ない目にもあっているが、それでもスペイン→フランス→スイス→トルコ→シリアと旅を続けている。今からヨルダン→エジプト→スーダン→エチオピア→ケニアと東アフリカ諸国を回るのだそうだ。いやあ、世の中にはホントにいろんな人がいるもんだなあと感じた。すごいとは思わないが、すごくうらやましいし、たくましいなと思った。

 

話の流れで一緒に夕食を食べに行くことにした。ユリさん曰く「ぐるぐるチキン」を食べに行くことに。ブラブラ街を散策した後、少し大きめのチキン店に入る。むちゃテキトー。水は水道水、フォークは放り投げる、洗い方は雑、水道の水は出ない。

出されたチキンは、そう、あれだ、ケンタッキー。しかしケンタッキーと違って味に変化をつけることができない。食卓にあるのは塩と唐辛子粉だけ。味に変化のないチキンを一羽食い尽くさねばならなかった。チキンをムシャムシャと食っていると、階段の上から一人の雑用係の男が登場。この男、猿みたいに陽気でバカで、テンションが高く強烈なキャラだった。

「ネィム、ネィム、ユア、ネイム」

「マイネィム・イズ・N」

「オオーッ!ハァーッ!N!」

といってNにキスをする。チキンをアーンとさせてNに食わせたり、口の中をボロボロに出しながらわけのわからないことを、これまたわけのわからないアクションで騒いだり、もうとてつもなく変な奴だった。ぼくとユリさんは大爆笑。しまいに2人の食べかけのチキンを強制的に片付けて去っていった。 

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▲ぐるぐるチキン

 

チキン店を出た後、3人で街角のジューススタンドに、ぼくはマンゴー。Nはレモン。ユリさんはバナナを飲む。もったりコクがあって実に美味しい。

ダマスカスは昼は暑いが、夜は風が吹いて実に涼しい。湿度が低いせいか30度近くあっても暑く感じない。街行く人々はとても親切で陽気。通りの雰囲気もすごく良い。ダマスカスがいっぺんで好きになってしまった。

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▲夜風にあたりジュースを飲みながらくつろぐダマスカス市民 

 

3. 2006年 9月12日 ダマスカス

朝9時に起き、10時から活動開始。まず最初に北上し、国立博物館に行くが「ホリディだ」と言われてあきらめる。その後軍事博物館に行くも「クロウズ」とやさしく言われてしまう。ここで2人のテンションもだだ下がり。気を取り直して、ブルマンバスのオフィスに行き、パルミラ行きのチケットを買おうとするも、地球の歩きかたに乗っている場所は何故かツアー 会社になっていて、ガラージュハラスターブルマンに直接行かないと買えないとのこと。またまたテンションの下がった2人は少し相談をし、とりあえず明後日のアンマン行きのチケットを買うことに。ダマスカス新市街を北のほうに歩き、ダマスカス大学近くのガラージュバラムケ。ここで受付のお姉さんに大変苦労しながらも何とかアンマン行きのチケットを買うことができた。次は、パルミラ行きチケットを買いにガラージュハラスターブルマンへ。タクシーの運ちゃんに相当ボラれながらも到着。これまた確保。

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▲ガラージュハラスターブルマンの近く。昼間はとにかく暑い。

 

マルジェ広場に戻り、ダマスカスオールドタウンを散策することにした。その前に、オルドタウン入り口近くにキレイに飾られた駅があるというので、地図を頼りに探してみると、何かそれっぽい建物を発見、おっ、これだと入ってみると、どういうわけか荷物検査&カメラ没収。うわあ、えらく厳しい観光スポットだなあと思って中に入ってみると、何だこれは、何もない。3~4階建ての建物で、あちこちに国旗が飾ってあり、男たちがバタバタ何かしている以外何もない。うわあ、これ絶対間違いだと思って急いで出て改めて地図を見てみると、ここは何と「中央電話局」であった。わけのわからん所に入ったと2人で大爆笑。 

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▲スーク入り口に飾られた巨大なアサド大統領の看板

 

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そしていよいよダマスカスオールドタウンに突入。まずはエントランスは巨大なスーク(市場)。道幅はトルコのカパルチャシュよりもはるかに巨大で活気がある。観光客向けのみやげ店も多いが、やはり目立つのが地元の人向けの日用品やぜいたく品が目を引く。一歩外の裏通りに出ると香辛料がすごく多い。香辛料のむせかえるような香り、コロンの強烈に鼻につくにおい、排気ガスの悪臭…まさに中東の香りだ。

 

▼ダマスカスのスークの動画

www.youtube.com

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▲スークの裏通り

 

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▲スークでドライフルーツを売るおじさん

 

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▲工房で働くおじさん

 

スークを抜けた後、世界最古のモスクと言われる「ウマイヤドモスク」を見物する。このモスクはただ圧倒されて、腰をかけてボケーッとしたくなる。どこのモスクにもある、不思議と安らぐ落ち着いた空気感がそこにはある。こんなに広々として壮麗なのに、どうしてこうまで心が落ち着くのだろう。数十分程、日陰でボケーッとしてしまった。

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▲ウマイヤドモスクの正面のモザイク

 

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▲モスク内部。この時はラマダン前で地元のテレビクルーの取材が入っていた

 

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▲「お前たち日本から来たのか?」と話しかけてきた男たち

 

ウマイヤドモスクを出た後、「まっすぐな道」を出てローマ門を通り過ぎ、「東の門」を出てしばらく歩き、「聖パウロ教会」に行く。僕らが入ろうとすると丁度大型バスに乗ったどこだかわからん白人老人客がドヤドヤと降りてきた。そしてノロノロとイスに座ると、どこからともなく神父が現れ、白装束に着替え始めた。ぼくとNは少し気まずくなって外から様子をうかがってみた所、聖歌の合唱が始まった。それも何故かハモっていてけっこううまい。しばらくボケーと眺めていたが、いこういこうとなり、ホテルに戻ることにした。

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▲ウマイヤドモスクの外。ローマ時代の石柱が再利用されている。

 

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▲遊ぶ子ども

 

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▲ダマスカス工房通り。装飾品や工芸品の工房が連なる。

 

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▲工房通りにいた猫様

 

ホテルでしばらくくつろいだ後、今日はちょっといいものを食べよう、ということになった。ダマスカスでは最高級の位のレストラン。ちょっとはフォーマルな格好をしようと青のロンTで繰り出す。Nが上下緑の服で出ようとするのを必死で食い止める。

さてレストランにIN。何だ、確かに下衆じみてはないが特別フォーアルな雰囲気でもない。ぼくは豆のスープ、サラダ、シシケバブをオーダー。Nはチキンスープ、鶏ケバブ、ライスプリンをオーダー。しかしこのオーダーをするときに少々手こずる。まず、ないものが多い。トマトスープない、ぼくが頼もうとしたやつ(何かは忘れた)もない、後で分かったことだが、Nが頼んだデザートのライスプリンもなかった。肝心の味だが、果たしてこれが値段の割にうまくない。いや決してまずくはないが、ファミレスの域を出ない。どれもそこそこの味。1100シリアポンド(約2200円)であった。

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▲豆のスープ

 

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▲シシケバブ 

 

レストランを出た後、やはりたまには情報収集をしないとということでネットカフェに行く。まず、びっくり。今日ダマスカスでテロが起こっていた。アメリカ大使館で銃乱射が起こっていたらしい。恐ろしさと興味でちょっとしたハイ状態に陥った。

 

ダマスカスの米大使館を武装集団が襲撃 - (大紀元)

▲ 当時のニュース

 

ホテルに帰ってユリさんとお話し。ユリさんは今日チカンにあって激怒し、その足でアンマン行きの切符を買ってしまったのだという。ユリさんと「じゃあ、アンマンで」というクールなセリフをかわして別れた。この日は結構動いたため、疲れて即爆睡。明日はいよいよパルミラだ。

 

 

4. 2006年9月13日 パルミラ

10時半のパルミラ行きバスに乗るために、朝9時にホテルを出る。ガラージュハラスターバラムケは昨日のテロの影響かものすごく兵隊が多い。しかしぼくらがバス停にINする前はほぼ素通りで済んだのに、兵士の集合が終わった後は超厳しい。客はペットボトルの水を飲まされていた。

10時半、バス出発。途中アラブミュージックのプロモやら映画やらチラ見。半分寝ながら、1時半にパルミラ到着。ここで東京から来た在日韓国人の人と合流し、3人でパルミラに入る。まずは教会跡や住宅跡、共同墓地をまでをずっと見て歩いて回る。ここは、本当に広大。言葉にならない。遺跡の醍醐味って結局、朽ち果てた建物跡や街の跡を見果たし、思いを馳せ、妄想を膨らませることだと思う。このパルミラはそういう意味で、エフェスよりもはるかにいいと思った。なぜなら、何だか分からないから。この遺跡は、こうこうこうこうこういう歴史があるのだ、と教えられても、そういう「重要な建物跡」がずっと続くものだから頭のCPUが追いつかなくなるが、ここパルミラは良い意味で未整備だ。そのため遺跡の醍醐味が十分味わえると思う。

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共同墓地を見終わった跡は、ディオクレティアヌス神殿、大通り、大浴場、4本の柱、ベル神殿、円形劇場などを見て回る。

最終バスは20時半。でもその前にもしかしたらバスがあるかもしれないと考え、6時前に間に合うように明日程に向かうが、20時半までバスはないと言われ、結局2時間半待つことに。

2時間半、日記を書いたり飯を食ったりして時間をつぶす。この時食った飯は、鶏の肝と玉ねぎを炒めたもの。ほんのり塩味。米はターメリックで色つけがしてあるが、パサパサしてちょっと臭う。これがシリア最後の飯だったが、やはりシリアは飯は旨くなかった。8時半のダマスカス行きのバスが出発。24時ガラージュハラスターバラムケ到着。明日は5時半起き。早く寝なければ。でも隣のドイツ人の情事がすごく気になって眠れないのだった。 

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▲ドイツ人カップルの部屋。夜中ずっとギシアンしていた。

 

 

 

まとめ

 10年前は平和で安定していたダマスカスも、今は物資の入荷が困難で市民の生活は苦しく、かつてのような賑わいはないと伝え聞きます。

また、パルミラ遺跡もISISにより貴重な遺跡群が爆破され、今回アップした風景はもう永久に失われてしまいました。

当時、笑顔で話しかけてくれたシリアの人々はいまどうしているだろうか。

かつての平和な光景や街角に溢れていた笑みは今はない。初めはそれに大きなショックを受けていたぼくも、恐ろしいことにそのような状態に慣れてしまい、連日流れてくるニュースにさほど心を寄せなくなってしまった。

それでもふとした時に青春の貧乏旅行を思い返し今のシリアの無残な状態を見た時に、貧相な日本人の若者を暖かく迎えてくれたシリアの人々に、何か恩返しをしなくてはという思いにかられるのです。

 

 ・シリアを知るには定番のこれ

シリア・レバノンを知るための64章 (エリア・スタディーズ123)

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 ・テルマエロマエで有名なヤマザキマリさんがシリアを旅行した顛末が載っています 

国境のない生き方: 私をつくった本と旅 (小学館新書)

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