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戦象の歴史

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「古代の重戦車」戦象

象さんといえば、現代の我々にとっては芸をしたり言葉を覚えたりする、利口でかわいい動物というイメージがあります。

ですが昔の人にとっては象は「恐ろしい巨大兵器」であり、一度解き放たれると残忍に兵士を殺しまくる動物でありました。

結局のところそういう性格に象をしているのは人間で、平和で穏やかになるよう育てると穏やかになるし、人を殺すように育てると恐ろしい殺戮マシーンになるわけです。

今回は歴史上、戦象がどのような役割を果たしてきたかをまとめていきたいと思います。

参考文献は、「図説 動物兵士全書 マルタン・モネスティエ著 原書房」です。

 

 

1. 古代世界最強の戦象

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恐怖の戦象

冒頭でも述べたとおり、古代世界では象は「最強」でした。

数十等の象が一斉に突撃してくると、騎兵の馬はパニック状態になり突撃を拒否し、歩兵部隊は恐怖で立ちすくむか、後ろを向いて必死で逃げ出すしかできなくなる。

象は歩兵を押し倒して足で踏み潰し、鼻で捕まえて空中に放り投げる。あるは鼻で首を締めあげて殺す。または牙で兵士を串刺しする。

象の攻撃から逃れても、背に乗った象兵たちの弓や槍の攻撃を受けた。

プリニウスはこのように語っています。

どんなにびっしり並んだ横隊も、どんなに結束の固い大隊も、自分たち目がけて押し寄せてくるこの巨大な一群に茫然自失となった。

 

突進する象 vs 守る兵

戦象は特に堅固な重装歩兵部隊を崩すために投入されました。

突進してきた象に対して、弓矢や槍で応戦しようとしても、これは象をますます怒らせて獰猛にするだけ。象たちは重装歩兵部隊をなぎ倒し、戦列に血みどろの広い突破口を作る。そしてその間を騎兵部隊が突撃し後ろから包囲する。

象が怒り狂って敵兵に対して攻撃的になることが重要であったため、戦闘の行われる日は薬物や酒を与えて酔わせ、怒りやすくすることなども行われました。 

 

このような象の突撃に対して、守る側も無防備でいたわけではなく様々な対策方が考えられました。

紀元前318年のメガロポリスの包囲戦では、マケドニアの摂政ポリュスペルコン率いる64頭の象兵がメガロポリスの防衛軍に敗北を喫した。防衛軍は城塞までの道に釘をうえた板を置いておき、象がそれを踏んで負傷するようにしたのだった。象たちはまんまと釘を踏んでパニック状態になり、戦いどころではなくなってしまった。

ギリシア兵は6メートルはある長槍を持った戦車を開発し、象の鼻が届かないところから攻撃したし、エジプト兵は象が苦手な火矢を用いた。

ローマ兵は2頭の馬が引くカロバリストと呼ばれる軽量の弩砲を用いて、150メートル先にいる象兵目がけて槍を発射させて成功していました。

 

 

3. 初めて戦象と戦ったアレクサンドロス大王

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戦争に象を初めて使ったのはインドで、軍馬の訓練をする前から象の訓練をしていたとされています。紀元前4世紀に書かれたマハーバーラタにも戦象について書かれています。

インドが誇る象兵と初めて戦ったヨーロッパ人はアレクサンドロス大王。

紀元前326年7月、インダス川の支流ハイダスペス川に到達したマケドニア軍は、それを待ち受ける地元の王ポーヴァラの軍勢と出くわした。ポーヴァラは川に沿って膨大な数の騎兵、3万人近い歩兵と射手、そして120頭の象を並べて大王を迎え撃とうとした。

ビビリ上がる部下たちに対し、大王はこう言って激励した。

余はあのような動物を常日頃からいたく軽蔑しており、敵と戦わせることができたとしても、そのようなことをしたいと思ったことはない。やつらは敵兵よりも味方の軍隊にとってはるかに危険な存在であることが、余には分かりすぎるぐらい分かっておる

大王は斧と長鎌で武装させた精鋭部隊を組織し、象の足の裏と鼻を集中的に狙い、象を襲撃しては撤退するという戦いを繰り返し、8時間の対決の末ポーヴァラの軍を打ち破った。

大王が予言したとおり、突撃の足が止まった象は味方のほうが脅威となった。包囲され行き場をなくすと象は周囲の騎兵や歩兵を踏み潰し、インド兵たちは大混乱に陥ったのでした。

 

 

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4. ハンニバルのアルプス超え

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戦象が登場するエピソードで最も有名なものといえば、カルタゴの名将ハンニバルによる「アルプス越え」でしょう。 

ハンニバルは50頭の象を引き連れてスペインを離れ、アルプス山脈を越えて北イタリアに侵入。ローマの人々を驚愕させました。

この行軍自体は歴史に燦然と輝くエピソードなのですが、その時連れていた象はアルプスの行軍中にほとんどが死んでしまい、スペインを出た時に50頭いた象は、イタリアについた時には衰弱した8頭しか残っていませんでした。

 

前219年10月17日、ハンニバル一行はローヌ川の渡河に挑んだ。

水に恐怖心を抱く象たちを何とか筏に乗せようと、苦心してまるで浮橋のように見せかけて筏を作り、象たちを筏に乗せることに成功した。

ところが筏が陸を離れ足元がぐらつくとたちまち象たちは動揺し、中には水に落ちてしまう象もいたそうです。しかし象も含む全軍の渡河を、ハンニバルはわずか4日でやってしまいました。

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ローヌ川渡河の6週間後、とうとうアルプスに到達したハンニバル一行。

ですが冬のアルプスの寒さは南国の象たちにははるかに厳しい環境。ハンニバルに従うガリア兵たちは、寒さに弱い象たちに毛布をかぶせたり、エサを遠くまで探しにいったり、苦心して山越えをサポートしました。

しかし2週間の山越えの途中で凍死したり、氷や雪で足を滑らせて谷に落ちたりして次々と象は死亡していき、無事に北イタリアに到達したのはわずか8頭でした。

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その後、イタリア半島で8頭の象は戦いに参加するわけですが、あまり活躍できずに7頭がローマ軍に傷つけられたりして死亡。翌年にはスールスと名付けられた1頭の象しか残っていなかったそうです。

 

 

5. モンゴル騎兵 vs ベンガル象兵

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 中世インドでは、戦象は中央アジアからの侵略者たちを迎え撃つために使われました。

マルコポーロの記述によると、フビライ・ハーンの軍はベンガル(現バングラディシュ)に侵入した際に戦象と出くわしたそうです。

1277年のワシャンの戦いでは、モンゴル軍司令官エル・アスカル・エッディンは1万2000の兵でベンガルに入ったものの、迎え撃つベンガル側は6万の兵士に加えて2000頭の戦象を用意していた。

それは非常に大きな象で、背中に戦闘用にきわめて巧みに作られた、非常に頑丈な木製の楼を乗せており、櫓にはそれぞれ12人から16人の兵士がいた

モンゴル側の馬は象に慣れておらず、その臭いに耐えられずに突撃を拒否。しょうがないのでモンゴル兵達は馬を降りて弓で戦った。モンゴル兵たちは遠隔から象を目がけて集中的に弓を放ちました。

さんざん矢を射かけられた象は、すさまじい声をあげながら逃げまどい、あまりにひどい被害を与えたので、世界が奈落の底に崩れ落ちたのかと思われた。象は森に逃げ込み、あたりかまわず走り回り、装具や背中の楼を打ち壊し、ありとあらゆるものを破壊し粉々にした

アレクサンドロス大王が看破した通り、一度象がパニックになればコントロール不能になり、戦線が乱れて作戦が崩壊するばかりか、暴れる象に踏み潰されたりして味方のほうが危険に陥りました。

16世紀に入り火砲が戦闘に使われるようになると、戦象の突撃前に象を戦線離脱させることができるようになったため、次第に象は使われなくなっていきました。

ところが象を戦争の主役から引きずり下ろした火砲と組み合わせた「砲兵象」なるものが登場します。

 

 

6. 砲兵象の登場

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象と火砲をセットにして軍を展開したのはムガル帝国軍。

1573年、アクバル帝は小口径の砲を備えた砲手を象に控えさせました。

1615年にはデリーの皇帝ジャハーンギールは、反乱を企てた息子ホスローとの戦いで300頭の象の上に砲架を固定し、4人の砲手を乗せた砲兵象を活用しました。

揺れる背中の上からの砲撃だからあまり命中精度は高くないだろうし、効率的に敵を殺傷するというよりは、威圧の意味のほうが強いと思われます。

インドや東南アジアでは象は神や王者の乗り物であり、権力の誇示の意味合いが強くありました。

 

近代で最も砲兵象を大量に所有し、最大の象部隊を保有していたのが、東南アジアのシャム王国軍。

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 シャムの象はインド象より小柄ながら頑強で活動的と見られており、シャム軍は800頭の象を戦闘用に保有していました。

部隊は2つに分けられ、1隊は王の必需品や兵站物資の輸送用で、もう1隊が戦闘用。

1873年のモニトゥール・ド・ラルメによると

400頭の象で構成されたこの部隊は完璧に演習をこなし、その栄えある任務を理解しているように見えた(…)100頭の象は砲兵隊に所属し、背中の砲台には山地用曲射砲および同口径のその他の大砲などが数門置かれ、象たちはその一斉射撃を立派に耐えた(…)象はそれぞれ、頭や長い鼻などの体のもっと攻撃を受けやすい部分を、弾除けのゴム製の防具で保護されていた

ですが象が戦闘に参加して活躍することはなくなっており、大部分が物資輸送の役割を担うことがほとんどでした。

 

 

7. 荷駄象の活躍 

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イギリスは19世紀の植民地戦争の中で、大量の象を輸送用に活用していました。

多くは上記の写真のように重たい大砲を引かせており、特に山岳地帯では重宝されたようです。

軍事史家のエドゥアールド・アランの報告。

クーリー戦争中、我々は山地で象の知能と有用性を確認することができた。急流が滝に変わる地点にやってくると、表面が水で摩耗してつるつるした花崗岩のほとんど垂直に近い傾斜に大砲を運び上げることになった。大砲を引いていた牛は1〜2回試して諦め、どうしようもないときにやるようにふて寝をしてしまった。

そこで輸送用の象を数頭使ってみることにした。1番従順な2頭の象が荷物をはずされ、象使いによって大砲のところに連れてこられた。それから声や身振りでがんばって運び上げるよう指示した。象に任せたのは間違いではなかった。実際に、6門あった大砲のうしろにいた象が、長い鼻の先端を使って大砲を前に押し、砲手が象を導くだけで、滝の岩壁の上まで砲を押し上げたのである

第二次世界大戦のビルマ戦線では、交戦国の日本、中国、イギリス、インド全てが象を食料や弾薬の運搬に用いていたし、

インドシナ戦争ではフランス軍は象の騎兵部隊を作り、ベトナム戦争ではアメリカ軍はジャングルでの斥候のために象を活用していました

起伏の激しいジャングルでは象は荷駄として大いに活躍していましたが、以前のように戦闘に象が使われることはほとんどありませんでした。

 

 

 

まとめ

象が恐ろしいとか、かわいいとか言うのは人間の勝手な都合で、象の従順な性格を人間が利用して人間を殺すように仕込んでいるわけです。

象が役に立つ、役に立たないというのも人間の勝手な都合で、武器が発達してなかった古代は戦闘で大活躍していたけど、火砲が発達したら無用の長物になってしまった。

哀れな象はずっと人間に利用されて、遠くに連れて行かれたり、死ぬまで重い荷物運びをさせられたり、戦争で殺されたりしてきた。

実際に北アフリカではカルタゴやヌミディアなどが戦争用に大量に象を動員したため、固有種のサヘル象は絶滅してしまいました。

せめてもの罪滅ぼしとして今後は象が幸せに生きていけるように、森を保全し環境を守っていく努力をすべきではないでしょうか。

 

参考文献 図説 動物兵士全書 マルタン・モネスティエ,吉田春江,花輪照子 原書房

図説 動物兵士全書

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  • 作者: マルタンモネスティエ,Martin Monestier,吉田春美,花輪照子
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