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歴ログ -世界史専門ブログ-

おもしろい世界史のネタをまとめています。

ソ連ヤクザ学入門 - 赤い大地の親分たち(前編)

ロシア

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ロシアマフィアの源流・ソ連ヤクザを知ろう

ソ連時代にヤクザなんていたのか?

と思うかもしれませんが実際に存在し、かなり大規模に闇商売に手を染めて勢力を拡大し、ソ連警察もなかなか手を出せないほどの力を持っていたそうです。

15世紀後半〜16世紀前半に急速に進んだ格差の拡大により、階級からドロップしたルンペン・プロレタリアートがならず者集団となり、様々な非合法活動を始めたのがロシアにおけるヤクザの起源とされています。

ソ連時代を生き延びたヤクザは、ゴルバチョフのペレストロイカ時代で急速に拡大しマフィア的組織となり政治家とグルになって影響力を広げ、現在のロシアの政治・経済を牛耳るまでに至っています。現在のロシアの政財界でマフィアと繋がりのない人間などほぼいないほど。むしろマフィアが社長になったり大臣になったりしているのが、ロシアという国なのです。

ソ連のヤクザの入門知識を、「ロシア★マフィアが世界を支配するとき(寺谷弘壬著)」より抜粋してお伝えします。今回は前編です。

 

 

1. ロシア革命とヤクザの関係

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ロシア革命は建前上は、マルクス思想に感化した労働者がブルジョワを倒して自らの権力を打ち立てたプロレタリア革命だとされますが、

実際のところレーニン自身ヤクザみたいなもので、暗黒街ではゴロツキどもに「親分」と言われていたし、レーニン率いるボリシェビキは帝政ロシアを倒すためにヤクザ、盗賊など粗相の悪い連中を集めて扇動し、暴力的に「革命」を成し遂げようとしていました。

 

1-1. ロストフとオデッサのバンディットたち

アゾフ海から様々な品物が運び込まれるドン川の港町ロストフと、多数の外国船が出入りする黒海沿いの港町オデッサでは、密貿易を目的にならず者どもが集まる。

ロストフに当時いた有名なヤクザ集団「ステプヌイ・ディヤヴォールイ(草原の悪魔)」の他、多数のバンディットがたむろし、お上の禁輸品や闇商売に携わっていました。オデッサは露土戦争でトルコから獲得した国際貿易港で、国内外問わず様々な犯罪集団が巣食う魔境都市でありました。

ロストフやオデッサで力をつけたバンディットは、政治経済の中心であるペテルブルグやモスクワに進出して闇商売を始める

そして革命を目指すレーニンとボリシェビキは、積極的にこれらヤクザどもを利用しようとしました。

 

1-2. モルダヴァンカの大泥棒ミーシカ・ヤポンチク

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そうしたバンディットの中で、オデッサで活躍した泥棒集団の頭目がミーシカ・ヤポンチク。

19世紀末から20世紀初頭にかけてロシアのユダヤ人は迫害され、住む場所を奪われたユダヤ人はオデッサのモルダヴァンカに逃げ込み、ここでスラム街を形成した。この町でユダヤ人の悪党の頭目となったのがミーシカで、最盛期には1000人もの盗賊を率いて荒らし回った。

ロシア革命勃発後、ミーシカはモルダヴァンカに乗り込んできた赤軍に説得され、配下の盗賊たちを赤軍に合流され共に皇帝の白軍と戦いました。

ところがまもなく赤軍に不信感をいだき離反。1919年に赤軍に捕まって反共・反革命の罪で銃殺刑に処せられました。

 

1-3. 盗賊L.パンテレーエフ

1917年末、レーニンは国内の反革命分子を摘発するための秘密警察「チェーカー(後のKGB)」を設立。バンディットの中にはチェーカーに採用され「体制側」に回る者が出てきました。

チェーカーのメンバーは「反革命的」であると判断された人や集団は審議にかけることなく処刑することができたため、そのような立場を利用して商売敵やライバルを殺害して回る「元バンディットのチェーカー」が出現。

有名な人物が盗賊パンテレーエフで、チェーカー初代長官ジェルジンスキーに抜擢されたのに、わずか3ヶ月の間に11人を殺害、20回も強盗を行って解雇されました。

逮捕されてすぐに脱走し、さらに10人を殺害し、20件の盗みを働き、最終的に射殺されています。

 

2.  スターリン〜フルシチョフ時代

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ロシア革命成就後、レーニンはソヴィエト国家による中央の統制システムである「戦時共産主義」体制を構築しました。だがこの4年間はあちこちで餓死者が続出する悲惨な失敗に終わった。

この失敗を踏まえ、1921年3月の第10回共産党大会でネップ(新経済)政策が打ち出されました。簡単に言うと「ある程度は市民生活の自由を認める」というもので、資本主義的な要素を取り入れたため、徐々に経済は回復していきました。

またこれまでは酒が一切禁止されていましたが、スターリンの「国民の豊かさ」を求める発案によって、店の棚にウォッカを始めたくさんのアルコールが並ぶようになりました。このような社会にタガが外れた時代、バーやキャバレー、売春など、闇組織の活動も再び活性化していきました。

 

2-1. 強盗殺人犯ミーシャ・クゥリチャピー

ミーシャ・クゥリチャピーはスターリン時代のヤクザの大物。

富農やネップマン(新興資本家)やその家族を拉致し、身内に約束の期日までに身代金の支払いを要求する。もし支払いが拒否されると、人質の首を掻き切って殺してしまう。記録では78人もの首が掻き切られたらしい。

クゥリチャピーは自らの殺人を詩にし、「理想主義的革命家」であると描いた

オレは人民の若きバンディット

そして、永久にそうなるしかなかった。

オレの理想は自由

ブルジョアすべてを打ちのめす、容赦なく。

 クゥリチャピーの子分は獰猛で知られ、秘密警察チェーカーにも息のかかったものが何人も紛れ込んでいたため、ソ連政府もなかなか手を出せなかったらしいです。

 

2-2. ポルノ本で一山当てたトーリャ・チェルカス

フルシチョフ時代にロシアの闇社会を牛耳ったヤクザがトーリャ・チェルカス 。

1920年代半ば生まれで、小さい時から極道の道に入り、持ち前のカリスマ性、残虐さ、面倒見の良さで親分として慕われるようになりました。

彼の子分に対する保障は手厚く、刑務所にいる子分が生活に困らないようにと、共同金庫(オプシチャック)の制度を充実させ、差し入れを欠かさなかったそうです。

第二次世界大戦中、チェルカスは凶悪犯罪の関与で刑務所に収監されていましたが、スターリンの命令で戦場に派遣されポーランド戦線で大活躍しました。戦後は釈放される予定でしたが、約束を反故にされ再び刑務所に繋がれてしまった。

そして刑期を終えて1960年代に出所したチェルカスは闇ポルノ・ビジネスに乗り出し、またすぐに逮捕されてしまいました

スターリン時代はストイックな社会で、ポルノはおろか性に関するあらゆる雑誌・映画・演劇が禁止されていましたが、フルシチョフ時代になると徐々に映画にもヌードが登場するようになってきました。

そんな中、チェルカスは西側の観光客が持ち込むポルノ雑誌を複製したり、ソ連のスポーツ選手が西側のお土産で買ってくるエロ写真をコピーしたりして通信販売で売りさばいていた。

1960年代後半、アメリカ軍はベトナムのジャングルに潜むベトコンの士気を下げるために、空からポルノ雑誌を撒いていたのですが、チェルカスは従軍記者やソ連軍の士官などからそれを入手して複製してこれまた売りさばいた。

ポルノ雑誌が珍しかった当時、このビジネスはかなりカネになったらしいです。

 

3. 大親分 "ヴォール" の出現

ソ連のヤクザを語る上で欠かせないのが、ヤクザ界の重鎮、親分の中の親分の称号である「ヴォール・フ・ザコーネ」であります。ヴォール・フ・ザコーネとは「鉄の掟を持つ盗賊」とか「合法的な盗人」みたいな意味。

ヴォールに就任すると、他の組のヴォールたちで構成される「親分総会」に出席する権利を得ます。ヴォールと親分総会の制度はスターリン時代に出来たもので、組を横断するルールを設け、団結を図り利益を守り共倒れを防ぐためのもの

親分総会で決まったルールは絶対に守らねばならず、もしルールを破ったヴォールがいたら、どこに行こうと、例え刑務所に入っていたとしても暗殺者が追っかけてくる。

そのような重要な称号であるため、ヴォールになるのは並大抵ではない。

最低2人のヴォールからの推薦があると、親分総会で「この男は暗黒街で正しく働けるか」「ヤクザの伝統を守ってきたか」「揉め事を正しくおさめられるか」などの審議がなされる。認可がおりると、親分総会で他のヴォールの前で両手を合わせてヤクザ界に忠誠を誓い、就任の儀式が行われる。そうして新ヴォール誕生のニュースが直ちにロシア全土に連絡される。

ヴォールは親分の中の親分であるため、残忍さや勇敢さを持った「カリスマ」でなければならない。ヴォールは恐れられる人物であると同時に、大変敬われる身分でありました。

 

刑務所でもVIP待遇

ヴォールはシャバはもちろん、刑務所の中でもVIP待遇を受けられました。

個室が充てがわれるのはもちろん、肉体労働を免除されたり、囚人でありながら刑務所の所長と同じかそれ以上の高い地位を得られました。

刑務所の敷地内にある「離れ」に住み、酒やタバコ、ハムなど外からの差し入れ品を楽しみながら、愛人を連れ込んで暮らしていたヴォールもいたようです。

他の受刑者どもは、そんなヴォールの住む離れを横目で見ながら、マイナス20度の極寒の大地で肉体労働に励むわけです。

戦後、シベリア抑留を経験した森下節という人は、ヴォールがいかにカリスマな男だったかを述懐しています。

一度、このヴォールの一地方の親分だと言われている男を見たことがあるが、年の頃なら55位とも思われる、もうかなりの老人といった恰幅の男だったが、いやその男が放つ、えも言われぬ精気というか、圧力というか、堂々たる貫禄、あたりをへいげいしている有様を見てすっかり感心した*1

ヴォールは日本のヤクザと似たような、独特の義侠的な美学を持っていました。

子分どもは全力で守ってやる。物や金を平等に配布する。弱い者いじめは決してしない。政治権力とは関わりを持たない。愛国心を持つ。派手な生活はしない。ほどほどが一番。

またヴォールの証となるのが、刺青。これも日本のヤクザと似ていますね。

胸の上の鎖骨のあたりに1つか2つ大きな刺青を入れるのが習わしで、ドクロやワシのような意匠は「ヴォールは死を恐れない」「死は常に紙一重」とかいった意味になります。

刺青を彫るのは相当な痛みを我慢せなばらなず、そのような痛みに耐えるほどの度胸と勇気があることを誇示します。また同時に、刺青は「ヤクザ社会の住人」であることを明確に示す、つまり自分は社会不適合者であり、闇社会で生きていく決意を示す働きもあるのです。 

 

 

繋ぎ

前編では、ソ連のヤクザの概要的な内容をまとめてみました。

ロシアのヤクザは、格差が拡大した時代に社会の落伍者やルンペンが非合法な闇ビジネスに手を染めた時に始まり、歴代の為政者も時にはその力を利用する場合もありました。

共産主義体制が完成しヤクザに厳しい時代になってもその独自性を失わず、ある者は体制を利用しビジネスを拡大し、したたかに生き延びていました。

後編では、ソ連ヤクザの大物・ヤポンチクと、ペレストロイカ期に出てきたヤクザで、現在のロシア・マフィアの源流となる人物を紹介します。

 

reki.hatenablog.com

 

参考文献 ロシアマフィアが世界を支配するとき 寺谷弘壬 アスキー・コミュニケーションズ

ロシア★マフィアが世界を支配するとき

ロシア★マフィアが世界を支配するとき

 

 

Russian mafia - Wikipedia, the free encyclopedia

 

*1:「ソ連暗黒街の顔役」『ソ連研究』第3巻 ソ連問題研究会 1954年 P51~52

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